私生活

鬼滅の刃から学ぶ自己進化論

こんにちは、池谷です。

鬼滅の刃が週刊少年ジャンプで完結しました。

 

僕も今年の1月に鬼滅の刃を全巻購入したので、

アウトプットしたいと思います。

 

かなり予想外な結論に達したので、

ぜひ最後までお付き合いくださいませ。

Contents

鬼滅の刃は「悲しみと憎しみの物語」

主人公の炭治郎(たんじろう)は、家族を惨殺され、そして鬼殺隊に入りました。

伊之助(いのすけ)もまた母親を鬼に殺されました。

 

カナヲは直接、鬼から酷い仕打ちをされた訳ではありませんが、

家族からひどい仕打ちを受けていました。

 

また上弦の参「猗窩座(あかざ)」は隣の道場生達に毒を盛られ、奥さん、お義父さんを殺された・・・

このように、鬼滅の刃に出てくる剣士達、鬼達はみな悲しい過去を背負い、

そして憎しみに生きています。

 

鬼の始まりである「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)」もまた悲しみと憎しみにより、鬼となりました。

悲しみと憎しみから鬼が始まり、

それに対応するように鬼殺の剣士が増えました。

 

漫画中に表現されていますが、鬼の始祖「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)」が誕生したのは、炭治郎(たんじろう)たちが生まれてくる遥か前。

時代が移ろっても、人々の悲しみはなくなるわけもなく、

鬼は増え続けそして剣士も増え続けた。

 

鬼、そして剣士は悲しみと憎しみの象徴。

 

鬼も剣士も同様に「悲しみと憎しみ」を背負いながら生きています。

そんな二つの存在をテーマにした「鬼滅の刃」は、

「悲しみと憎しみ」から始まった壮絶な奪い合いの物語です。

「悲しいと憎しみ」から始まった壮絶な奪い合い。

これは人間がいる限りなくならないものであり、

現代の世の中、そして僕らにも共通する1つのテーマです。

 

そして、会社員生活、恋愛、仕事といった、僕らの人生において、非常の大きなウエイトを占めるものにおいても重要なテーマだと僕は考えています。

 

・「奪い合い」の根源はどこにあるのか?

・「奪い合い」の世の中を上手に生きる方法とは?

・飛躍的な進化を遂げ、「奪い合い」を制する方法

この記事で、以上の問いに対する答えを出します。

「奪い合い」 = 人間関係、恋愛、ビジネス、仕事

 

僕らをいつも悩ませるものの本質は「奪い合い」です。

奪い合いばかりの脂っこい世の中でうまく立ち回り、

自分を見失わない方法はなんなのか?

 

一緒に鬼滅の刃から学んでいきましょう。

鬼化してしまう人々

悲しみに打ちひしがれ、憎しみにより自分を見失ってしまった人間が鬼となる

鬼滅の刃を読んでいて、僕はこのように思いました。

「何も悪いことはしていないのに・・・」

「ただただ真面目に、強く生きようとしていただけなのに・・・」

幸せを奪い取られ、搾取され、そして傷つけられてしまった人が世の中を憎み、人間を恨み、鬼となってしまう。

 

 

鬼滅の刃では、「鬼」が悪役となっていますが、フラットな視点で見れば「鬼=悪」とは言い切れない。

彼らも、もともとは人間だった。

そして、同じ人間に心を壊され、人間を憎んでいた人々です。

 

「鬼」は架空の生き物なので、

現実世界に鬼はいません。

しかし、僕らが住むこの社会には、他人により心を壊され、悲しみに打ちひしがれ、世の中を憎み、人間を恨んでいる人はたくさんいます。

そして現代、そのような人が増えているからこそ鬼滅の刃に共感する人が多いのではないかと僕は思います。

現代では誰もが鬼化する可能性がある

人間は常に誰かを攻撃し、妬み、恨みます。

どんなに温厚な人だったとしても、です。

それが人間という動物としての習性なのです。

人間は誰かを嫌い、足を引っ張り、

あなたを動揺させるような酷い言葉を投げつけ、

心を壊そうとしてくる。

 

あなたは真面目にひっそりと、

誰にも迷惑をかけないように、優しく生きようとしていただけなのに。

 

その最たるものが「いじめ」です。

 

どの地域、国、人種関係なく「いじめ」は世界中にある。

 

あなたの気持ち、想い、努力は伝わらず、誰かがあなたを痛めつけてくる。

「なんで自分だけこんな目に遭っているのか」社会や人間からの仕打ちで、自暴自棄になり、恨み憎しみが自分の中で大きくなっていく。

 

恨み憎しみが巨大になる程、「人間としてあるべき姿」から遠ざかっていきます。

自分を忘れ、枯渇した心を満たすために、

例えば、何かに執着したり、無謀なお金の使い方をしたりするようになる。

いつまでも満たされない心

「人生を変えるには、環境を変えろ」

よく聞く言葉だと思いますし、僕もその通りだと思います。

 

実際に「いじめ」からは、転校、卒業、転職したりすれば逃れられる。

環境を変えれば「いじめ」はなくなり、つらく暗かった人生が変わります。

 

鬼滅の刃に出てくる「鬼」も

つらく絶望的な経験をしながらも環境を変え、人生を変えた。

 

例えば、上弦の参「猗窩座」隣の道場生から「いじめ」を受け、

奥さんを毒殺された。

そこから抜け出るために鬼となった。

 

上弦の陸「堕姫、妓夫太郎」も何も悪いことはしていない。

ただ真っ当に生きたかっただけなのに、他人から蔑まれ、
妹を奪われ、すべてを奪われた。

 

そこから抜け出るために人間を捨て鬼となった。

 

しかし、

人間をやめ、鬼となり、すべてが変わったにも関わらず、

求めているものは人間の時に手に入らなかったもの

だったのです。

 

例えば、

猗窩座は、人間の時に手に入らなかった圧倒的な力に執着していました。

 

堕姫は人間の時に、手に入れられなかった裕福な暮らし、

そして権力に執着していました。

 

 

実際に、現実世界でも「いじめ」を受けていた人が、

環境を変えいじめられなくなった後、

執拗に人の優しさや承認に飢えているパターンもあります。

 

「いじめ」までは行かずとも、高校、中学時代

もっと恋愛したかったのにできなかった・・・といった苦しみの反動から、

大学、社会人となった瞬間、そこに時間もお金も費やしてしまうというパターンもある。

「キャバクラ通い」「ホスト狂い」も反動の一種だと思います。

 

 

 

しかし、

反動で大量の時間とお金を例えば、キャバクラやホストクラブにつぎ込んだとしても、

いつまでたっても心が満たされることはないのです。

 

僕も同じような経験があります。

僕は中学時代から、ファッションにとても興味があり、

毎月ファッション雑誌を3冊買っていました。

 

「こんな格好がしたい」「この服が欲しい」

「この服を来て、こんなおしゃれな場所でデートしたい」

そんな強い想いを中高6年間を持っていました。

 

しかし、

その想いが現実になることはなかった。

バイトをしていなかったので、お金もなかったし、

そもそも静岡県の田舎に住んでいたので、欲しい服も買うことができなかったのです。

 

そして大学生となり、東京に住むこととなりました。

そこからはバイトに狂い、欲しい服を買いまくりました。

 

社会人になっても同じで、

給料が入っては一着4〜8万円くらいする服を買いまくったのです。

いくら使ったかわかりませんが、どれだけお金と時間を使っても、

別の服が欲しくなった。

 

本当に底なしの執着だったと思います。

 

 

今でこそファッションに対する欲求は薄れたので、

冷静に考えられるのですが、大学時代、社会人初期時代にファッションに使ったお金、そして時間をもっと別のことに使えば、よかったと思うのです。

 

過去、手に入らなかったものに対して異常に執着してしまう。

そして、どれだけ欲しかったものを手に入れたとしても、心は満たされない。

 

このように誰もが鬼化する可能性があるのです。

奪い合いの根源

奪い合いの根源 = 満たされない心

基本的に、僕らの心は飢餓状態にあります。

誰もが何かに飢えている。これはもう当たり前のことなのです。

 

・親から愛してもらえなかった

・友人に恵まれなかった

・恋人が欲しくてもできなかった

・服が欲しくても買えなかった

・ゲームをしたくても、親が許してくれなかった

多感な時期に、愛や物に恵まれなかった場合、

それらに飢え、執着してしまうのです。

 

例えば、承認欲求に飢えている人は非常に多い。

これはしょうがないことで、

承認欲求に飢えている人がダメだというわけではありません。

僕だって承認欲求はありますから。

 

誰かに認められたい、褒められたいから頑張りすぎてしまう、

力みすぎてしまう人ってすごい多いよなと。

 

僕らは常に誰かに愛されていたいし、

自分の好きな物に囲まれていたい。

 

これは人間であれば、全員同じだと思います。

しかし、

誰かから愛され、認められるために、

そして好きな物に囲まれるために、誰かから何かを奪いまくっても、

永遠に満たされることはないんです。

 

これは鬼滅の刃を読んでいればわかります。

「鬼」となり人知を超える力を手に入れたとしても、

満たされている鬼は誰一人としていませんでしたよね。

「奪い合い」の世の中を上手に生きる方法とは?

飢えに対して、正直に生きること

自分が何に対して飢えているのか?

これをしっかり認識して、飢えを満たすために頑張ってみよう。

 

シンプルですが、これが最善の答えだと僕は考えています。

現代は個人が活躍できる時代です。

たった一人でもお金を稼げるし、友達の力がなくても運命の人に出会うこともできる。

YOUTUBEや恋愛アプリなど、そのためにツールが揃っています。

 

だから、欲しい物はすべて手に入れろ、と。

 

一人でなんでもできるこの時代に我慢している方が、

不健全だと思うのです。

 

どうせ何か飢えているなら、欲しい物を欲しいだけ手に入れてみればいい。

そしてその先に何があるのかを確認するしか、

次に行く方法はなんじゃないかなと思うんです。

 

人によっては、「心の飢え」を満たすこと
=良くないこと

と捉えている人もいる思います。

 

例えば、

先ほど紹介したのように鬼滅の刃に出てくる鬼は人間の時に手に入らなかった物を

貪欲に求めています。

 

だから、

「心の飢え」を満たすことは、

鬼のように満たされない人生を送ることなのではないか?

 

と感じてしまう人もいるのではないかと思います。

 

しかし、一概にそうとも言えない。

飢えを満たすこと=「良くないこと」ではありません。

 

「鬼」と僕らの異なる点。

それは、飢えを満たすのは次に行くためであるということです。

ここを忘れないでください。

 

ここを忘れ、いつまでも心の飢えを満たそうと、

愛を奪い、物を買うことは「良くないこと」です。

もっとはっきり言うと、「人生の無駄遣い」でしかない。

なぜなら、どれだけ奪っても心が満たされることはないから。

 

僕の場合、めちゃくちゃ服を買いました。

10年以上、満たされることはありませんでした。

 

最近では、なんか少しその欲も薄れ、「服にお金を使いすぎること」は、意味がなかったなと感じています。

 

この状態になって、次に行けるようになりました。

 

大事なのはこの部分です。

飢えを満たすのは、次に行くため。

 

シンプルに自分の欲を満たしてください。

でも、それを忘れないで。

悲しみとトラウマの塊である剣士達

悲しみに屈せず、自分を強く持ちながらも、心にはトラウマも同居し、常にそれと戦っているのが鬼滅の剣士

漫画中に登場する鬼と剣士は

表裏一体の存在だと僕は考えています。

 

鬼も剣士も同様に悲しみを抱えて生きている。

実際に漫画中でも剣士達の目は、曇っているように見えます。

 

表裏一体で、抱えているものも同じなのに剣士と鬼の違いは何か?

考えたことはありますか?

 

鬼と剣士の違い

鬼と剣士の差は、トラウマを直視し対峙しているか否か

剣士はトラウマを直視し、乗り越えることを選んだ。

 

剣士の道は険しく厳しく、そして危険なもの。

これは本作を読んだ方であれば、わかると思います。

鍛錬を怠れば、鬼に殺されてしまう。

もしくは運悪く、

自分よりも強大な力を持つ鬼と出会ってしまったら即座に殺されてしまう。

 

それでもトラウマから目をそらさず、

ひたすらに己を鍛えきった人間がトラウマを打破できる。

 

飛躍的な進化を遂げ、「奪い合い」を制する方法

人間は戦いの場に立つ数が多くなるほど、自分でも驚くほど、とてつもなくレベルが飛躍する

漫画中でもこのような描写がいくつもありました。

 

主人公 炭治郎はまさにそうでした。

彼は日々の鍛錬も怠りませんが、飛躍的な進化を遂げてきたのは、

鬼との戦いの最中。

 

無限城、上弦の参「猗窩座」戦のとき、父との古い思い出が蘇り、

それがキッカケとなり彼は「透き通る世界」が見え始めた。

 

大事なのは、戦いの土俵に立つこと。

 

実際に僕もそうでした。

僕は小学校、中学校、高校、大学時代、ずーっと英語が好きで勉強していました。

単語帳を持ち歩き、単語を覚えたり文法を覚える努力をしましたが、

一向に英語での会話は上手くなりませんでした。

 

しかし、

オンライン英会話スクールで、英語を話すシチュエーションを増やしたところ、

結果的に、爆発的に英会話力が進化したのです。

 

それまでは1つの文法を覚えるのに、時間がかかっていましたし、

英語の勉強を続けてきたにも関わらず、TOEICの点数は550点程度・・・

 

そんな状況からオンライン英会話を始め、

強制的に英語を喋る環境に身を置き、自分を鍛えた結果、

TOEICの点数が720点まで到達したのです。

 

飛躍的な進化を遂げる方法は、

考え抜かれた練習や鍛錬も重要ですが、それよりも大事なのは戦いの場に身を置くことなのです。

これは他の分野でも共通すること。

 

僕はネットビジネス=ブログを初めてすでに6年目ですが、

ネットビジネスを始めた当初は、勉強ばかりしていました。

 

肝心のブログを全然書いていなかったのです。

そこからインプットをやめ、ブログを書くことに集中した結果、

今では月収70万円を稼げるようになりました。

 

このような結果からも、大事なのは戦いの場に身を置き、そして戦うこと。

 

まさに戦いの場が最強のインプットになっているのです。

 

「練習や日々の鍛錬は意味がない」

と言いたいわけではありません。その積み重ねが飛躍的な進化を遂げる土台になってるのは間違いない。

 

しかし、

「練習や鍛錬」では、爆発的な進化を遂げるキッカケが得られないのです。

 

「出会いが人生を変える」

 

一度は聞いたことがある言葉ですよね。

偶然出会った他人がキッカケとなり、自分の人生が変わる。

つまり、これは「戦いの場に出ろ」という意味だと僕は考えています。

 

一人で鍛錬していても、爆発的な進化は得られない。

爆発的な進化をしたかったら、扉を開け、

戦いの場に身を置き、自分を変えてくれる人間に出会うしかない。

 

「戦いの場」と表現してきましたが、

現実的には、自分の理想をすでに叶えていそうな人間が集まる場所に行くことをさします。

例えば、僕であれば、英語をペラペラに喋れる外国人がいるオンライン英会話に登録しました。

またネットビジネスで稼いでみたかったので、すでに稼いでいる人たちが集まるワークショップに行きました。

鬼滅の刃しかり、僕の経験しかり、

人間を成長させてくれるのは同じ人間なのだということです。

奪い合いを制する方法

自分を忘れないこと

奪い合いを制する方法は、これしかないと僕は考えています。

 

主人公 炭治郎(たんじろう)が、自分の願いを叶えられたのは、

どんな時でも自分を見失うことがなかったからです。

 

毎日3時間を超える残業、叱責のきつい上司、チクチク悪口を投げかけてくる先輩。

同僚を騙して結果を自分のものにする同僚。

 

ブラック企業然り、人間関係がきつい職場で過ごしていると、

僕らは精神的にも肉体的にものすごい量を奪われます。

 

奪われたら奪い返せ。

やられたらやり返せ、倍返しだ。

「奪うことが当たり前」の環境に長く身を置くことで、

僕らの価値観も自然とそれに染まっていきます。

 

これは自分の身を守り、効率的に生きていくためにはしょうがないことではあります。

 

例えば、

ブラック企業では、その環境に適応できなかったら、

うつ病や過労死の危険だってありますから。

 

これと同じように鬼滅の刃でも、

鬼が強すぎて、剣士たちは皆、己を鍛え鬼を効率的に殺す方法と

生き残るすべだけを考えています。

 

そして、

その中で「自分自身を見失っている」。

 

鬼滅の刃では、誰1人として幸せそうで、

自分のやりたいことをやっている人は出てきません。

 

全員がお互いを殺し、生きることに血眼になっている。

 

無目的に何かを誰かから奪っている人間は、

いわゆるメンヘラと同じ。

 

1人の人間として、心身共に健康であるならば、

何かきっと「目的」があるはず。

 

そして、その「目的」に向かって歩む姿こそ、

僕は自分らしさだと考えています。

 

人生の可能性

いつの時代も、心が折れてしまった人間は、易きに流れてしまいます。

易きに流れるのは簡単で、現実から目を背け続ければいい。

 

鬼滅の刃で出てくる鬼達が全員、現実から目を背け、

易きに流れた結果、鬼となってしまったとは言えません。

 

それぞれつらく、暗い過去があり、

どうしようもなかった鬼もいる。

 

しかし、

この現実には、不老不死の体を手に入れる方法=鬼化する方法はない。

 

どんな苦痛、絶望を感じようと、

僕ら人間に残された道は1つです。

 

「自分にとって本当に意味があると感じたものを選び取ること」

常識的にも、効率的にも、こっちの方がいいと思える選択肢はいつでも目の前に存在します。

 

例えば、

僕は筋トレが好きです。

 

別に筋トレをしても持てないし、体は大きくなってもともとあった服が着れなくなるし、お金はかかるので、そんなにいいことはありません。

 

でも、僕は筋トレがない人生は考えられない。

 

なぜなら、僕の人生のとって、筋トレは意味があると感じるから。

 

多分、常識とか、効率なんてものは、

本当は人生にとって意味のあるものではないのかもしれません。

 

主人公 炭治郎、善壱、伊之助、柱達。

剣士になることは、常識的、効率的に考えたら本当に意味がないこと。

 

明らかに鬼の方が強いし、鬼を殺すためには、

自分を死ぬほど追い込まないといけない。

どう考えても、効率的な選択とは思えない。

 

でも、

彼らは日夜努力をする。

 

 

だから、本当に大事なのは、

不合理だとしても、非効率的だったとしても、

自分にとって意味のある物だと思うなら選びとることなのです。

 

まとめ

というわけで、長々お読みいただきありがとうございました。

ご興味があれば、ぜひ僕が書いた他の記事もお読みください。

では、また。